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2005年11月 アーカイブ

2005年11月05日

会津若松・米沢紀行

文 大塚保男  (写真 平井克秀)

 長文です。お暇な折りに読んで下さい。写真が入ると、もっと迫力を持たせることも可能ですが、まだ大塚にはその写真貼り付け技術がまだありません。勉強中です。平井さん、良かったら貼り付けて下さい。

会津若松・米沢紀行

 会社の45歳研修で2ヶ月の時間を共有した仲間も先輩の後を追いかけて還暦を迎え、07年6月、クラス会「卒業生の会」を7名 (出席率27%) で開催した。その場の盛り上がりで次回は山形でという話になり、地元の山形大学工学部教授のGさんに幹事をお願いすることになった。参加者はHさんを加え計3名。

 Gさんの企画は、米沢で心ゆくまで晩秋の紅葉と開湯700年の名湯・白布温泉と酒を堪能し、日本一おいしい(と地元では自慢されていると言う)米沢牛に舌鼓を打つという1泊2日 (11月3日、4日) の旅。因みに、彼によると米沢は、2009年のNHK大河ドラマに決まった「天地人」の主人公、直江兼続(戦国大名 上杉景勝の家臣)のゆかりの地。兼続は米沢藩の内政にその手腕を発揮し藩政の基礎を築き、今日の米沢の町を作るうえで一番の功労者とみなされているとのこと。歴史に詳しい人ならなるほどと思わずうなる人物だというが、私には馴染みのない名前だ。

 折角、米沢まで行くなら新幹線往復はつまらない。そこで、往をローカル線の旅とし会津若松方面から紅葉の西吾妻スカイバレーを抜け白布温泉へのルートを考えたが、スカイバレーを運行する乗合バスがない。止むを得ず、会津若松観光のあと郡山から新幹線を使うこととした。当初、ケチケチ旅行で浅草発 7:10 or 6:20 の快速利用を考えていたが、流石にハードであり、時間をカネ (特急券) で買うことにする。旅程は以下の通り。結果として初日は欲張ったスケジュールになった。

  <11月3日 (土)>
   ・大森 (7:03発) ~ 東武浅草 (8:00発、特急きぬ103号) ~ [東武線]
      ~ 鬼怒川温泉 (9:57着)
   ・鬼怒川温泉 (10:01発) ~ [野岩線] ~ 会津若松 (11:57着)、
      同市内観光 (鶴ヶ城、飯盛山、等)
   ・会津若松 (15:00発) ~ [磐越西線] ~ 郡山 (発) ~ [新幹線]
      ~米沢 (着)
   ・米沢駅17:30頃、Gさんが車でピックアップ、Hさん合流
   ・宿泊: 山形県米沢市白布温泉 中屋旅館別館不動閣
        (夕食・朝食つき12,600円/人)
       http://www.yukoyuko.net/0612/

  <11月4日 (日)>
   ・10:00頃に宿を出発、15:00頃まで米沢市内観光。観光スポットはGさん
    に一任 (彼がガイド、車使用)、15:30頃に米沢駅解散。新幹線利用で帰京。

【11月3日 (土、文化の日、曇後晴)】ローカル線の旅

□ 東武浅草駅でビールと酒を買い、予定通り8:00発「特急きぬ」(6両編成、6号車 は個室) に乗り込む。電車は春日部で満席。隣に素敵な女性が座ることを期待し つつビールを飲みながら、ネットで調べた会津若松の観光スポットを確認。

 鬼怒川温泉着 9:57、乗換時間は4分。煙草を1本と思ったが見ると、皆が走ってい る。始発の乗換列車「AIZUエクスプレス、マウンテン号」(気動車、特別車両、急行 料金なし) は、たった2両編成で駅改札口寄りに止まっている。つまり、「特急き  ぬ」の1、2号車の向かい側だ。これは大変と、5号車の私は出遅れを挽回すべく  走る。乗り込んで空席を求めながら奥に進む。一旦は立つことを覚悟したが進む  途中に見つけた席取り用 (?) の荷物に「ここはあいていますか?」と確認し、ボックスの4人目として座り込み、ほっとする。しかし、私より前に進んだ人達がなぜ私の前にその席を確保しなかったのか。ボックスに座っている先着の50~60年配の3人組は既に酒盛が始まっており、サングラスをつけた1人が怖そうに見えることもあり、他の人は空席確認を敬遠したものと勝手に想像したものだ。幸運だった。結果として立つ乗客は8名。しかし8人の中には個室料金3,600円/室を払った人もい るはずであり、これだけで観光気分はぶち壊しになったに違いない。サービスを売り物にする鉄道会社は、こうした面にも細かい配慮が必要ではないだろうか。

□ 意地の汚い私は、立つ人をおもんばかることなく、車窓に展開する風景を楽しみながら、3人組に合わせて酒をちびりちびりとやり始める。彼らからつまみの差し入 れがあり、話が少しずつ弾み始める。彼らは会社の飲み仲間であり、一人が会津 若松出身なので彼の紹介により、会津の隠れ湯という湯野上温泉 (列車が高原を 下る手前) に向かうところとのこと。彼からは、若松観光なら是非と御菜園 (おさい えん) を薦められた。

 列車は新藤原から野岩鉄道(会津高原尾瀬口まで)に入り、グングン高度を上  げる。まさに高原列車だ。ローカル線とはいえ、速度は東京を走る電車と変わらな い。高原列車の割にトンネルが少ないようだ。列車が進むにつれ車窓の両側に紅 葉真っ盛りの山並が迫って来る。雲間から陽光が漏れ始め、艶やかな錦の衣を纏 った大自然が映える。還暦記念旅行を祝うかのようだ。車内からは「わぁ~」といっ た溜め息とも歓声ともつかぬ声が漏れる。こうした景観を文学者はどう表現するの だろうか。紅葉は、老いさらばえた葉の最後を彩る姿態ともいえるが、一方でその 下にはしっかりと新しい芽が拭いている。しかし、それはどうでもよく、美しいもの  は美しいのだ。3人組は電車賃を払ってここまで来て良かったという。同感である。

 川治温泉まで乗客は増える一方で20人ほどが立っている。座ると立つでは天国と地獄の差だ。同じ電車賃を払いながら、立つ人はこうした情景を、酒を飲みながら ゆっくり愛でることも叶わない。ただ、身体を運ぶだけだ。迫る山並を見るためには、屈むしかない。
途中の川桁駅のプラットフォームには、沼尻軽便鉄道 (川桁駅~沼尻駅) 記念碑が見える。初めての鉄道名だ。芦ノ牧温泉駅ですれ違った「宝クジ号」も満席で立つ客が多い。

□ 会津若松には予定通り 11:57に到着。「ようこそ会津へ、よう来らったなし」の看 板が迎えてくれた。観光案内所で観光パンフを貰う。まちなか周遊バス「はいからさん」1 日乗車券500円(1回 200円)を買う。30分おきに運行されるバスだ。12:30 の増発便に乗り、会津若松のシンボル・鶴ヶ城に向かう。軒の低い古い民家や商 家が混ざる町並みだ。地方都市の例に漏れず人通りは少ない。鶴ヶ城も紅葉真っ盛り。多くの観光客で賑わっていた。

 明治7年廃城となった鶴ヶ城は昭和40年9月に再建されたものであり、中はご多分に洩れず博物館になっている。入場料は500円。石垣を含む5層からなる城の高さは36.5m、世界文化遺産の姫路城より10m低い。本丸内には利休の子少庵が建てたという茶室「麟閣」(りんかく) がある。天守閣に上る。北に望むなだらかな 飯盛山は、山というより丘だ。眼下には本丸の紅葉が広がる。亡父がよく唸って  (吟じて) いた詩吟「白虎隊」♪南~鶴ヶ城を望めば砲煙上がる ---♪が思わず口 を突く。城内に掲げられた、飯盛山で自刃して果てた白虎隊16歳と17歳の若者19 名の大きな写真 (?) を偲ぶ。春であれば、土井晩翠作詞の「荒城の月」♪春高楼 の花の宴 ---♪だろうか。

□ 城で1時間も費やし、「はいからさん」を利用して車中の1人から薦められた御菜園 (おさいえん) に向かう。入園料310円は文化の日のためタダ。薬草園を名前の由来とする徳川時代の代表的な大名型山水庭園であり、5100坪を有する見事な 庭園だ。30分ほど欲しかったが、次の旅程を気にしながら10分程度で切り上げ、受付でタクシーを呼んで貰う。この間、香ばしい匂いに誘われて地鶏の焼き鳥 2本 を買い求める、しめて400円也。

 駅までは10分程度、14:40駅着、料金1,080円。運ちゃんに聞くと、会津と薩長はいまだに犬猿の仲という。個人レベルでは結婚もあるようだが、行政や商工会レベルになると「御先祖様」が出てくる。つまり、鹿児島県や山口県から提携の申し入れはあるが、御先祖様に申し訳が立たぬと断るのだという。確かに「出身県ですぐわかる人柄と相性」(平成県民性調査会、2003年7月、コアラブックス)でも明治維新戦争130年後の今になっても遺恨を引きずっていると指摘する。

 米沢までの切符を買い、遅い昼食をとる。夜の御馳走を楽しみに、軽く駅の立ち食い蕎麦とした。月見ソバ310円也。東京の駅蕎麦と変わらない値段だ。しかし、 空腹状態もあるとは思うが、シコシコとして東京の駅蕎麦より美味しかった。

□ 会津若松発 15:00の磐越西線に乗り、御菜園で買った地鶏の焼き鳥をつまみながらビールを飲む。車窓からは白くなったススキが風に波を打っている。たおやかな会津の象徴・磐梯山 (1919m) が姿を見せる。ローカル線とはいえ、速度は東京を走る電車と変わらないはずだが、人家もまばらな会津盆地では、トコトコとのんびり走っているように感じるから不思議だ。予定通り16:16郡山着。Gさんに電 話を入れ、予定通りの旨伝える。あらためて携帯電話の威力、有り難さを感じた。 郡山発 16:32の新幹線に乗り、2駅目が米沢着 17:24。米沢駅はキラキラした新幹線の駅ではなく、在来線の駅舎。Gさんが出迎えてくれ、彼の車で真っ暗な道を 白布温泉に向かう。車の往来も少ない。

□ 思えば、野岩鉄道、磐越西線、山形新幹線は1時間に1本の運行である。良くロ ーカル線を乗り継いで予定通りたどり着いたものだ。定時運行がなければ叶わない。安全に加えて定時運行という鉄道の高品質が可能にしたと言えよう。時には 事故も起こすが、日本の誇るべきインフラといっていいとも思う。そう鉄道マンには 認識して貰いたいと思う。

□ 40分ほどで標高850mの白布温泉着 (18:10)。想像していた通り、旅館はかなり古い建物だ。部屋は決して非日常を楽しむ空間とはいえないが、落ち着きがある。現当主は28代目、建物は築150年 (焼失した本館は築300年) という。Hさんか ら到着が1時間早まる連絡があり、宿には後発が到着次第の食事をお願いし、Gさんは一服した後19:00頃迎えに米沢駅へと向かう。その間、一風呂浴びる。湯は 草津ほどではないが、宣伝通り熱い。その時の体調のせいかもしれないが、心なし温泉が肌からしみ込む感であり、ほんの少しだが痛みを感じた。20:10、Hさん到着 (休日までお仕事、お疲れさまでした)。

 

  さぁ~さぁ~、楽しみにしていた米沢牛のつく料理だ。仲居さんのはからいで、酒 の持ち込みを知らないこととし、Gさんが持参した推奨の山形一美味しい酒 (銘柄 は記録しなかった) と高畠ワインを開ける。むろん、宿には失礼だからビールを3本 たのむ。Hさんは下戸だからこれで十分。美味しい酒に料理、気の置けない仲間 で話もはずむ。何を話したか記憶は定かではないが、話題は最近の大学生気質  や健康などなどだったと思う。明日もあるからと 1:00過ぎ床に就く。

【11月4日(日、晴)】Gさん案内による米沢市内観光

□ 9:00過ぎに宿を出て3人で記念写真。今日も天候に恵まれる。山あいの宿の周 りを散策。数日の遅れとか、紅葉は真っ赤な色が影をひそめつつあるようだ。

 道路の両側には「上杉の智将 直江兼続『天地人』大河ドラマ 2009年放送決定」の大河ドラマ放映決定を伝える大きな旗がたなびく。9:40白布発、10:10上杉神社着。 既に多くの観光客や地元の人で賑わっている。

 大正12年に再建された上杉神社は、米沢城址本丸跡の6割、6300坪を有し、四方をお掘と石垣に囲まれ、紅葉が美しい。ここにも大河ドラマ放映の旗が林立  する。参道入口の両側に上杉家を象徴する「毘」と「龍」の大きな2本の旗が迎えてくれる。参道右手に入ったところに謙信像、参道沿いに鷹山像が立つ。

 隣接する宝物殿「稽照殿(けいしょうでん)」(入殿料350円) の展示物は、上杉謙信 (初代)、景勝(2代)、直江兼続、中興の名君鷹山 (10代) の遺品、遺墨等が殆どであり、平安期から江戸初期に亘る絵画、書跡、刀剣、甲冑、武具、仏具、陶漆器、服飾類である。因みに、上杉家は多くの書跡を残す珍しい大名家という。

 展示されている兼続の兜の立物「愛」は戦国武将のものとしては非常に珍しい。 しかし同じ「愛」でも現代とは意味が全く違い「愛染明王 (あいぜんみょうおう)」からの一字だから要注意だ。愛染明王は密教の神であり、愛欲の煩悩がそのまま悟りにつながることを示す明王で、外見は忿怒・暴悪の形をとるが、内面は愛をもって衆生を解脱させる (大辞林) とのこと。近くに上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続 等を祭神とする松岬神社 (まつがさき) がある。

□ 上杉神社に隣接した米沢城二の丸跡地にある米沢市上杉博物館 (入館料400 円) 、平成13年9月の完成という。エントランスホールに入ると、まばゆいばかりの 金色に輝く豪華な能舞台に圧倒される。ホバークラフトの原理を利用した可動式に なっており、能楽が催されるに時には奥の置賜 (おきたま: 米沢の昔の地名) 文化 ホール移動され、ホールは能楽堂に変身する仕組みだ。

 上杉鷹山シアターでは、弱冠17歳で九代目米沢藩主となり、傾いた藩財政を救い生涯を藩の人々のために尽した鷹山の人となりを紹介する15分程度の映画が上映される。シアターの3面鏡のようになったスクリーンは、初めてである。3面にベタッと映像が映すのではなく、時には違う映像を映し出すことにより時間の動きを見せ迫力がある。何という技術だろうか。

 館内には、上杉氏ゆかりの城下町・米沢の歴史を彷彿させる国宝を含む文化財などが展示されている。織田信長から謙信に贈られたと伝えられる上杉本洛中洛外図屏風 (狩野永徳) は、約2500人もの人物を老若男女、身分、職業を問わず細やかに描き、往時の生活ぶりを生き生きと描いた絢爛豪華な屏風である。「実りのディオラマ」は精緻な立体小型模型によって、江戸時代 (?) の米沢の生活実景を目に訴えている。

 それにしても、米沢市 (民) には失礼かもしれないが、また余計なお世話かもしれないが、この立派な造りの博物館は後述の上杉城史苑 (じょうしえん) とともに、今後の維持費を含め市の懐にかなり痛いのではないかと想像した。採算がとれているのだろうか。杞憂であることを祈りたい。

□ しかし、これまで多くの博物館を訪問してきたが、共通の不満が残る。なぜ展示物の紹介に重量やサイズ、素材が示されないのか不思議でならない。例えば、甲冑や刀剣などの武具に重量が示されると、身長150㎝の武士がこうした武具を装着し携えてどう戦ったのかと想像が膨らみ楽しくなるではないか。こうした指標の表示は、博物館の集客能力向上の一助になるのではないだろうか。とはいえ、大 英博物館やメトロポリタン博物館などでも (全て見た訳ではないが) 同様に示されていないようだ。それらに倣っているのだろうか。素材はともかく、重量やサイズは簡単に測れるし表示も容易であり、さほどの費用は掛からないはずである。

□ 昼食を上杉記念館 (旧上杉伯爵邸、明治29年落成、大正14年に再建) でとる。

 敷地面積は3,300坪。建物は銅板葺きで、総檜造り。東京・浜離宮に倣って造られた素晴らしい日本庭園を愛でながらの食事だからと奮発し、3人でランチ会席「献膳・雪」@2,100円x 3つと米沢牛の刺身@1,050円x 1つにビール@650円x 1本 を注文。料理は美味しかったが座卓での食事はお腹にきつく、食べきれず1/3ほど残した。Hさんにはもっと辛かったようだ。

□ 昼食後の腹ごなしに餐霞館遺跡 (さんかかん) まで散策。名君上杉鷹山が隠居後38年間を過ごした隠居殿の跡。民家の並ぶ中に大きな鷹山公顕彰碑が建つ。

□ 上杉家御廟所 (御香料200円) では、入口から御廟所までは100mほどの箱根 の杉並木を思わせる鬱蒼とした檜 (?) 並木が案内してくれる。初代謙信から12代 にわたる歴代の米沢藩主が埋葬されている。鬱蒼とした木々に囲まれて薄暗く、静寂の中に謙信を中心に左右 12代ものほぼ同じ大きさの廟が整然と並ぶ。流石に凛とする。

 上杉家代々の奥方や子女をはじめ直江兼続夫妻は、上杉家重臣とともに春日山林泉寺 (りんせんじ) に眠る。彼らの墓の殆どが、家をかたどった古代の埴輪を思わせ、色も赤茶けており、人間の身の丈前後の高さである。私には初見の珍しい墓石だ。

□ Gさんが研究・教鞭をとる山形大学工学部の構内に、明治43年3月に開設され た旧米沢高等工業学校の本館 (重要文化財、山大工学部の前身) が美しいたたずまいを見せている。ルネッサンス様式の美しい木造2階建の建物だ。この建物は米沢駅舎のモデルになっているとのこと。

□ ここまでくると流石に3人とも疲れて来る。土産を求めて帰ることにする。案内された博物館近くの上杉城史苑は、多目的コミュニケーションスペースを目的とする。広い米沢物産販売コーナーには観光客で少し混み合っていた。流石に米沢牛 のステーキには手が出ず、米沢牛のジャーキーと米沢ラーメン、それに米が美味しいはずだからと煎餅とした。

 米沢駅着 16:00頃。駐車場でGさんと分かれる。本当に有り難うございました。16:42発の切符を求める。指定は満席、1時間後の次も満席という。鬼怒川での幸運の再来を祈りつつ東京まで立つことを覚悟。東北ローカル線の旅を続けることにし、明日は山寺を訪ねることにしたHさんとは駅で別れる。彼はこの1日で1,000枚の写真を撮ったという。執念に敬服する。

 早めにホームに出たが、既に自由席の各入口には結婚式帰りと思しき5~6人を 含め20人ほど列をなしている。完全にアウトだ。後は幸運を祈るだけ。「混み合っておりますので車内販売がお席に行けないこともありますので御了承下さい」の車内放送が流れる。駅で買ったビールはお預けだ。次の福島では2人が降り、隣 に立つ中年夫婦が座る。「座れて良かった」と飲み物と食べ物を広げる。幸運の女 神はまだ来ない。吊り革のない新幹線で長時間立つのは辛い。発車1時間後、郡山でようやく女神が来た。座ってビンビンと来ている足をさすり、ビールにありつけた。通路を見ると、米沢で一緒に乗った不運なおじさんは、大宮まで立ちっぱなしだった。

 今回はローカル線の旅だったが、会津若松、米沢市内や電車内でもいわゆる方言・土地の言葉を聞くことはなかった。高度情報化社会に伴い、また新幹線や高速道路などの交通機関の発達・整備などにより、日本が均一化している証左だろうか。あるいは、観光客が多かったせいなのだろうか。

 野岩鉄道沿線はともかく、若松も米沢も心なし真紅の紅葉が少ないように思えた。総体的に黄色が多くなるためか、ほんのり色あせたような紅葉だった。Hさんも同様の印象を呟いていた。

 米沢では直江兼続と上杉鷹山が市民から非常に讃えられ慕われているようだ。二人の足跡が市内の至るところにあり、地方区 (郷土) の偉人の方が全国区の謙信よりもその色が濃いような印象である。

 それにしても、米沢はNHK大河ドラマ放映決定歓迎の一色だ。クランクイン (予定: 2008年8月)もまだ遠い先であり、放送は再来年というのに決定を伝える旗が市内全域に林立している。

 米沢市役所の統計によると、米沢市の人口はH2年 94.8千人から微増を続け、しかしながらH8年 95.6千人をピークとしてH19年10月では 91.9千人と漸減。地方都市の傾向と変わらない。所帯数は、H2年 28.7千所帯からH8年 31.0千所帯、H19年10月では33.4千所帯とひたすら増加し続けている。核家族化の傾向が見える。米沢の原型を造った男が、大河ドラマを通して 400年後の町おこしに大きく貢献することだろう。ただし、NHKや俳優が、地方区の武将をどう魅力的に描くかに関わっているのではないか。「成せばなる成さねばならぬ何事も」(鷹山) の実行あるのみだ。

 今回は、Gさんに本当にお世話になり思い出の旅となった。企画にはじまり、メンバーへの案内、参加が漸減する中での宿との交渉、(徹夜の会話を想定した?) 地元の酒やおつまみの調達、米沢駅の送迎、観光案内などなど、本当に有り難うございました。特に観光案内については、地元とはいえ下見や下調査をされたものと推察している。