関西アーカイブ

奈良県の史跡一覧

奈良県では、特別史跡10件を含む計119件が指定されている(2都道府県以上にまたがる史跡4件を含む)。

特別史跡

二見浦

8時25分 多気行きに乗る。天気だったら歩道トンネルを抜けて七里御浜に行こうと思っていたが、どんよりした曇り空だったので中止した。7時過ぎに出発し、ゆっくり散策しながら駅に向かった。雨がポツリと降りだした。尾鷲で降りて馬越峠の熊野古道を歩くのも諦めて終点まで電車に揺られることにした。

乗客は数人。眼下に入江の海岸に点在する集落を眺め、トンネルを抜ける。それが交互に続く。紀伊長島を過ぎると長いトンネルに入る。高度をあげ山の中に入っていく。20分後、山に囲まれた小さな盆地の集落に着く。阿曽という町だ。キャピキャピ娘が二人乗って来た。車内が急に賑やかになった。

多気1107着。大泊から2時間40分。
多気1132発。20分で伊勢市。ここで殆んどの人が降りた。二見浦1203着。

駅前から真っ直ぐ延びる表参道を歩く。本降りの雨だ。誰も歩いていない。突き当たりを右に進む。やがて左手に松林が見えた。堤に出て雨降る浜辺を眺めていると桃色の雨傘をさした女性が足早に歩いていった。

二見浦に来るのは初めてではない。こどもの頃、遠足で来た。それ以来かと思ったが、大人になってからも来ている気がした。しかし定かな記憶はない。

 「心に花を 行いに実を」谷田ヨシ子

二見浦1411発 快速みえ16号に乗り名古屋へ向かう。
歩数:13191歩

※この記事は1年以上下書きのままだった。写真を整理して追加する予定だったのを忘れてしまった。とりあえず公開しておく(2014/4/22)

新宮~熊野市

午前6時起床。晴れ。気温5度。那智駅0716発~新宮0734着。新宮駅から浮島の森経由で熊野速玉大社に詣でる。帰り道に新宮城址(丹鶴城)に登る。良い天気に恵まれ、城址で1時間以上のんびり過ごした。のんびりしすぎて電車を一本逃して2時間待つ羽目になったが、午後2時に大泊到着。松本峠超えの熊野古道を歩き、鬼ケ城を一周する。
※歩数23837歩 写真332枚 523MB 動画28本 988MB

浮島の森

浮島の森
徒歩5分で浮島の森に着いた。日本最大の浮島。名前とおり、沼地に浮かぶ泥炭でできた島で、昔は大風が吹いたり強く足踏みすると島全体が揺れたというが、いまは沼地の底に座礁し浮遊・移動することはなくなったそうだ。暖地寒地両方の植物が混生し、高緯度高層湿地に生育するオオミズゴケも見られ、植物学的に極めて珍しい植物群落だ。正式名称は「新宮藺沢浮島植物群落」で国指定の天然記念物。

熊野速玉大社

浮島の森大社境内には誰もいなくて静かだった。  小鳥のさえずりが聞こえ、清逸な雰囲気が漂う。神主さんが朝のお勤めを始める。巫女さんが庭を掃き欄干を手拭きしている。初詣客を迎える準備に忙しそうだ。声を掛けて聞くと、今年の参拝客数は約18万人だったそうだ。

やがて観光バスが着き、人々の喧騒に包まれるが10分後にはまた静寂に戻った。熊野本宮大社に比べると社殿は小さかった。神社境内は、那智大社もそうだったが、思っていたほど規模は大きくなかった。

正門の右手に駐車場があり、その一角が佐藤春夫記念館になっていた。佐藤春夫が住んでいた場所だそうだ。戦後、生まれ故郷に戻ったとき、東京の自宅を移築したのだという。

丹鶴城址

丹鶴城址
 一時間後、近くの小高い山に登る。登り口に新宮城址の案内板があった。丹鶴城址ともいう。江戸時代初期に築かれた城だ。徳川家臣の水野重臣の居城になり、新宮地域を治めた。

天守閣があった場所まで10分くらいで着く。運動場くらいの広さの公園になっていた。肩を寄せあって佇む男女がいた。ほかに人影はなく静かだった。青く輝く熊野灘、速玉大社の森が見える。

この地を訪れた与謝野寛が詠んだ詩碑があった。

高く立ち 秋の熊野の 海を見  誰そ涙すや 城の中ふべに

快晴で暖かだった。WiMaxを接続できたのでスマホから日記を書いてアップした。のんびりしすぎて10時52分発の電車に乗り遅れた。次は13時14分、二時間待ちだった。

徐福公園

徐福公園
街中をそぞろ歩き。 駅の近くに 徐福公園があった。小さな公園で真ん中に不老の池があった。不老長寿の薬を求めて中国からやって来た徐福が、この地で「天台烏薬」を発見したと伝わる。

池には「和・仁・勇・慈・財・調・荘」 と書いた七本の石柱がある。徐福に従って渡来した七人の重臣が有していた徳を表している。

この日は新宮から尾鷲に移動して、馬越峠越えの熊野古道を歩こうと思っていたが時間的に無理になった。駅前の観光案内所が開いていたので、尾鷲方面の見所を聞いた。熊野市に松本峠越えの熊野古道、花の窟、鬼ケ城などがあると聞き、熊野市に移動することにした。

「新宮名物の店はないか」と聞くと、駅前の徐福寿司を紹介してくれた。仕出し弁当つくりに忙しく、いまは店内では食べられないというので、持ち帰りの弁当を買った。新宮名物だという熊野牛のり巻き、昆布巻き、さんま姿寿司が入った寿司弁当にした。熊野古道の峠で食べようと思った。

松本峠


松本峠の石畳 松本峠松本峠は熊野市駅と大泊駅の間にある山を越える道で、海側にせり出したところが鬼ヶ城だ。国指定の天然記念物で2004年に世界遺産の一部として登録された。志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、熊野市駅近くからなだらかな海岸に変わる。「七里御浜」と呼ぶ。このことは、後になって知った。鬼ヶ城のことはまったく知らなかった。成り行きで歩くことになったのだが、新しい発見があって幸運だった。

13時50分に大泊で下車した。お目当ては松本峠を歩くこと。新宮の観光案内の人も歩いたそうだが、昼食・休憩を含めて2~3時間だったという。最初の登りはちょっときついが、小辺路・果無峠への最初の登りに比べれば楽だったし、距離も1キロ以内で短かった。15分ほどで峠に着いた。
展望台
峠からそのまま下ると七里御浜、熊野市駅に至る。左へ尾根伝いに行くと鬼ヶ城山頂だ。途中に東屋(展望台)があった。熊野灘、七里御浜、熊野市街が一望できた。誰もいない。太陽の位置が悪く、七里御浜が影になっていた。もう少し西へ移動するといい写真になるのではないかと20分ほど待ったが無理だった。諦めて鬼ヶ城山頂に向かった。

そこは熊野灘の荒波に面する断崖絶壁の真上だった。昔は城郭があったのだろうが、いまは何もない。小さな運動場くらいの広さの平地になっていた。城跡から海にせり出すような場所がある。「鬼の見晴台」と名づけた展望台になっている。雄大な熊野灘の展望を楽しめた。このときは何も知らなかったが、この真下が天然記念物で世界遺産に登録された「鬼ヶ城」という景勝地だった。

見晴台から城跡に戻ると右手に「さくら道を経て鬼ヶ城東口へ」という案内板があった。松本峠に戻って西側の七里御浜に行くのを止めて、東に下った。

鬼ヶ城

さくら道という名のとおりに斜面にはたくさんの桜の木(約2000本)があった。桜が満開の頃にまた来たいものだ。うねうねと続く斜面の道を下ると、駐車場と売店があった。ここに車を止めて鬼ヶ城を見学するのだろう。20代と思しきカップルが歩いて行くので、後を付いて行った。
鬼ヶ城案内 千畳敷 行者窟

このときは鬼ヶ城についての知識はまったくなかった。日が暮れるまでにまだ時間があったので見学することにした。断崖絶壁が続いていた。5分ほど歩くとライオンの顔のような巨岩が海に突き出していた。ここを見て引き返す人がいる。先のカップルも引き返した。

好奇心を捨てられず、先へ行ってみることにした。荒波に削られた海蝕洞がたくさんある景勝地だった。「天候にかかわらず高波が発生するので注意!」という警告がいくつもあった。岩が幾重にも重なり合った断崖の狭い歩道を歩く。鎖が張ってあるだけで、高波が来たら命はないと思った。歩道が下って海が近くなると、荒波が岩に砕ける音が激しくなり、海蝕洞にこだまして不気味な鬼の声となる。誰も歩いていないので心細くなる。

日が暮れ始めた。もうちょっと先を見ようと歩いて気がつくとかなり遠くまで来てしまった。引き返すか先へ進むか迷う。引き返せば、暗くなって危険な場所を歩くことになる。進めば帰り道が遠くなるが、先を見たいという興味もあって先へ進むことにした。七里御浜が見えたときはほっとした。すでに日は暮れていた。


橋杭岩と那智大社

正月は横浜で過ごすため、年の暮れも迫った28日に大和を発った。また紀勢本線に乗ることにした。いったん西に向かい南下して紀伊半島をぐるっと一周する。串本の橋杭岩と新宮大社巡りをしようと大雑把に決めていた。

午前5時25分出発。曇り。気温2度。急ぎ足で駅に向かう。足のふくらはぎが痛む。冷えた筋肉が悲鳴をあげる。53分発の電車にギリギリ間に合った。JR高田6時9分発五条行きに乗る。五条、和歌山、湯浅、御坊、紀伊田辺で乗り換え、串本12時39分着。雨が本降りになったので潮岬に行くのをやめ那智へ移動した。雨が上がり時間があったのでこの日のうちに那智大社に参拝した。

東海道線を使うときのように気が向いた駅で途中下車というわけには行かなかった。途中下車して駅周辺を散策といっても何もないところ、民家の少ない山の中ではぶらっと散策していたら道に迷って帰れなくなる。追いはぎはいないがイノシシがいる。駅に無事着いても一本乗り遅れると2~3時間待ちで日が暮れて宿の確保が難しくなるからだ。

湯浅駅

途中湯浅駅で30分ほど乗り換え時間があったので駅周辺を歩いた。醤油発祥の地だそうだが、街中を熊野古道が走っていた。

紀三井寺から南下すると湯浅で高野山にいたる道と熊野詣での道に分かれる古来からの交通の要衝地だ。天保年間に建てられた道標が残っていた。

向かいの果物・雑貨屋さんのおばさんに聞くと、熊野詣での道標では一番新しいものだそうだ。街の一角は伝統建築物保存地区に指定されていた。

串本駅


12時39分着。計6回乗り換え。最寄の駅まで徒歩30分も含め7時間の道のりだった。串本でのお目当ては橋杭岩だった。出発前夜に環境省サイトの吉野熊野国立公園の案内を見て、その存在を知った。海に杭を打ち込んだかのように、奇岩列柱25本が海上に一直線に並んでいる。国指定の天然記念物だ。

今にも雨が降りそうな空模様だ。駅前の観光案内所に立ち寄り地図をもらって橋杭岩までぶらぶらと歩いた。約30分で着く。ちょうど干潮時で橋杭岩の周辺は干潟になっていた。曇り空で残念だったが、自然の造形美に感じ入った。


雨がポツリポツリ降りだし、やがて本降りになった。雨具を身につけ急ぎ足で駅に戻る。改めて駅前の案内板を見る。帆船の彫像があり、トルコ友好の町と書いてある。1890年エルトゥールル号が遭難し500名以上の犠牲者を出した事件があった。串本の住民が救難に尽力し、それがトルコとの友好の始まりになったとのこと。

時刻は14時25分。潮岬行きバスが32分にあったが本降りの雨で写真も撮れないので行くのを止めて、那智か新宮へ移動することにした。幸いWiMaxが接続できた。那智大社に一番近い駅が那智だった。駅周辺のホテルを検索すると一軒だけヒットした。駅から歩ける距離なので即予約した。

那智駅


1445串本発。那智1535着。雨は上がっていた。日暮れまで1時間半ある。どうするか思案していたら、社会人一年生という女性二人連れが那智大社に行くという。一人は広島、もう一人は大阪から来たという。「那智大社からの帰りの最終バスが17時40分なので、1時間半ほど見て回れる」と教えてくれた。意を決して53分発の那智大社行きに乗った。

もう一人乗客がいた。青春18キップで全国の路線を乗りつぶす旅をしているという。すでに四国と北海道は制覇したそうだ。那智は二回目で、今回は那智の滝口まで行くという。乗客は4人だけだった。

終点の那智山で降りる。300段はあるかと思われる階段道をリュックを背負って登るのはきつい。途中から眺望が開けるが曇り空で視界は良くない。大社の鳥居前で道が二手に分かれる。右に行くと三重塔がある。

急いで三重塔を目指した。日が暮れる前に那智の滝を見て写真を撮ろうと思ったからだ。5分もかからなかった。那智の滝が遠望できた。冬枯れで水量は少ない。三重塔は朱塗りで修復からさほど年月がたっていないようだ。その右手に那智の滝が見える。見たかった風景だ。


時刻は4時30分。夕暮れが迫っていた。急いで引き返し那智大社拝殿を拝した。途中で別れた女性組が参拝を終えて引き返すところだった。記念写真をとってあげた。

薄暗くなった境内に明かりが灯る。誰もいない。社務所にも人影がなかった。日暮れる前にバス停に着いた。誰もいない。バスがすぐ来た。時刻を見ると最終バスより一本早い5時10分発のバスだった。バス通りの店は全部閉まって人影もない。

  発車間際にリュックを背負ったハイキング姿の女性が一人乗ってきた。三重塔あたりでみかけた女性だった。女性二人組は最終バスに乗るつもりだろう。三重塔のほうに行くといって別れたが、とっぷり日が暮れてもう暗闇が迫っている。ちょっと心配だったが、旅慣れているようだったし二人だから大丈夫だろう。

5時30分に那智駅に着く。駅前に夕食を取れる店がなかった。軽食・喫茶の店が一軒あったが閉まっていた。駅前に日帰り温泉がある。土地のおばさんがいたので聞いた。「何もない。勝浦に行けばある。」という。「コンビニが道路沿いにちょっと歩いたところにある」と教えてくれた。今夜はコンビニ弁当が夕食だ。

昨夜は数時間しか睡眠をとっていなかったが、串本に向かう電車の中で仮眠したため日中は眠気を感じることはなかった。しかし、宿に着き弁当を食べ、お風呂で疲れた体を休めると途端に睡魔が襲ってきた。就寝20時30分。

※歩行数:20245歩 写真:107枚 141MB 動画:17本 795MB

白浜~熊野~十津川

青春18キップの季節になったのでぶらり旅をした。どの路線を利用するか、旅に出る当日の朝まで決まらなかったが、ままよとばかりに当日は白浜温泉、二日目は熊野本宮大社周辺、三日目は十津川温泉あたりと決めて宿だけ予約した。

和歌山線は今年春のぶらり旅で利用したので、和歌山まで直行し紀勢本線に乗り換えた。最初の訪問地は御坊駅にした。南に向かう普通列車はここで乗り換えになる。近くに亀山城址、日高別院があり、鉄道ファンに人気の紀州鉄道が走っている。約3時間ぶらり歩きを楽しみ、夕刻6時に白浜温泉の宿に到着。一泊素泊り3350円という格安の国民宿舎だ。部屋は清潔で真新しい畳の香りがした。

翌朝6時起床。夜明けを待って散歩に出かける。快晴で凛とした空気がおいしい。昨夕、弁当を買いに立ち寄った店のおじさんが「ここに着たら、半月島と白良浜を見ないといけない」と教えてくれたので、先ずは白良浜に向かって歩いた。写真を撮りながら方角を間違わないようにぶらりと歩く。偶然、武蔵坊弁慶の産湯を見かけた。そこから十数分で白良浜に着いた。

約3時間写真を撮りながら気ままに歩き、風光明媚な土地を満喫したので、その日の白浜温泉からの熊野本宮行き最終バス(10時25分発)に乗った。乗客は私だけで、途中の白浜空港で女性が一人乗ってきただけだった。運転手さんとあれこれ話しながらの道中で退屈することもなく12時前に本宮に着いた。

本宮大社を参詣した帰り、ふと気づくと大社の裏手への道があった。祓殿王子へ100mとの案内があった。このときは何も知らなかったが、あとで聞くと熊野古道・中辺路の一部だった。北へ歩くが集落のある舗装道路で古道とは思わなかったので途中で引き返し、祓殿王子の、本宮大社の右手に古道らしき道があったので降りていった。

祓殿王子は、本宮を目前にして旅の汚れを祓い清める潔斎所のような場所なのでその名前がついたそうだ。観光で案内される中辺路は祓殿王子からまっすぐ本宮大社の裏門を入っていくが、本来の古道は期せずして私が歩いた獣道のような道だったようだ。

祓殿王子から15分ほどで平安・室町時代の熊野詣の最終地、120年前まで本宮があった場所の入り口に立つ大鳥居に着いた。

※この記事は1年以上、下書きのままで公開していなかった。写真を整理して引用する予定だったが、そのままになって忘れていた。とりあえず公開しておく(2014/4/22)

牟婁の湯~白浜温泉~



「温泉は牟婁の湯、白良湯、まぶ湯がいい。無料で入れる。ここに来たからには円月島と白良浜を見ないといけない。」 そう教えてくれたのは古賀浦バス停近くの小さな店屋のおじさんだった。翌朝、古賀浦から大浦を経て白良浜、熊野三所神社、御船足湯など海岸沿いを散策し、円月島の写真を岸から望遠で撮ることもできた。

この日の早朝に白浜温泉の宿を予約した。楽天で素泊り3350円という格安の宿があった。和歌山で紀勢本線に乗り換え、御坊駅で途中下車。約3時間ぶらりと歩き、紀伊田辺駅に着いたのは17時。駅前から17時20分発白浜方面行きバスに乗る。約45分で古賀浦バス停に着いた。

古賀浦の温泉宿

宿まで徒歩10分くらいだと思うがすでに日が暮れて暗く、どの道を行けばいいか分からない。バス通りに商店の明かりが見えた。店には誰もいない。声をかけるとおばさんが出てきた。夕食替りのパンとデザートに有田みかんを買って道を訪ね、ついでに明日の熊野行きの交通手段を聞いているとおじさんも出てきてあれこれと教えてくれた。

熊野本宮大社へは古賀浦バス停10時20分溌の明光バスが出ているという。幸運だった。明朝白浜界隈を3時間ほど散策して熊野に行こうと決めた。約3時間の白浜見学にどこに行けばよいか、おじさんが親切に案内地図をくれて、こことここは見ないといけないと教えてくれた。

教えてもらった入り江沿いの道をゆっくり歩いて10分ほどで宿に着いた。左手に大きな近代的なホテル古賀の井が見える。ここを過ぎて一つ目の角を曲がると、今夜の宿しらゆり荘だ。部屋は6畳の和室で真新しい畳の匂いがする清潔な部屋だった。早速温泉に浸かる。カルシウムを多く含んだ「長生源泉」で肌がつるつるした。ほかの客の姿はなくひとりでゆっくり温泉を味わった。

古賀浦から白良浜へ

翌朝6時起床。源泉かけ流しの温泉に入って体を温め、朝日を待って出発した。宿のすぐ近くの古賀浦には小船が何艘も停泊し朝の日差しを浴びていた。青い空と海が美しい。やしの木と高台に建つ白いホテルが入り江の風景に溶け込んでいた。



先ずは白良浜を目指して歩く。大きなコガネイベイホテルを左に見て丘を下ると大浦のほとりに出る。ここからの眺めも絵になった。正面の入り江に浮かぶような瀟洒で重厚な建物は、後で調べると田辺湾に突き出した岬にあるホテル川久のようだ。



大浦の信号から北へ向かい次の信号で西へ向かって歩いた。観光客用のガイド地図をもらっていたが分かりにくい。いろんな店や宿、観光スポットの宣伝なので地図の縮尺や東西南北が不正確である。どうも私はこの手の地図は苦手だ。迷う原因になるからだ。それより自分の動物的な方向感覚を信ずる。

やがて「白浜銀座街」の看板を目にする。商店が続いているがまだ開店していない。左手に「弁慶産湯の釜」というのがあったが、ホテルの客寄せ用だろう。ここから5分ほどで白良浜についた。だれもいない静かな白砂の浜辺だ。しばし眺めていると若いカップルが浜を歩いてきた。朝のジョギングをするおばさんが走ってきた。平和な光景だった。

「雪の色に同じ白良の浜千鳥 声さへさゆる あけぼのの空」と寂念法師が歌った雪のように白い砂浜だ。硅石や石英からなる色砂岩が風化してできたものだとの説明があった。

西行法師の歌碑があった。
「波よする しらゝの濱の からす貝
 拾ひやすくも おもほゆる かな」

白砂にある黒い貝は見つけやすいということだ。平安貴族の遊び「貝合わせ」に使う貝を女房に頼まれて拾いにきたときに詠んだ歌だそうだ。

牟婁の湯

昨夕に店のおじさんが「ムロノユ」と教えてくれたが、私は始めて聞いた名前だった。その由来を教えてくれたのは白良浜の北端に鎮座する熊野三所神社の宮司さんだった。白浜という名前は比較的新しく、大正時代に使われ始めたということで、それまでは「牟婁の湯」と呼ばれていた。地名は瀬戸鉛山村(せとかなやまむら)で、牟婁の湯は神社から南へ続く遊歩道を10分くらい歩いたところにある。中間地点には露天風呂しらすながあり、いずれも無料で利用できる。

神社境内に斉明天皇(皇極天皇)の行幸碑があった。宮司に聞くと、「あの悲劇の有間皇子が最初に牟婁の湯にきて良かったので斉明天皇に勧めた」という。断崖の山を挟んで神宮とは反対側に行くと「御船足湯」がある。昔はここに船で着いて牟婁の湯に行ったそうだ。

白浜という名前は大正時代からだが、「牟婁」という名前は飛鳥時代からあり、「牟婁の湯」は万葉集や日本書紀にもでてくるという。旅から戻って調べると、東西南北4つの牟婁郡がある。現在は南北の牟婁郡は三重県、東西の牟婁郡は和歌山県になっている。江戸時代の紀州徳川藩の領地は紀伊国から伊勢国南部の松阪周辺まであって、明治の廃藩置県で分割され熊野川以東を三重県、以西を和歌山県に編入され、現在に至っている。

牟婁の歴史は大化の改新まで遡る。上古の時代(古墳時代・飛鳥時代)には熊野国といわれた地域は、江戸時代に編纂された「紀伊続風土記」では、大化の改新後に紀伊国に併合し牟婁郡を置いたとされる。つまり熊野は広大な牟婁郡の一部になったわけだ。

円月島

白良浜の北のはずれに海に突き出すような小高い山が見えた。西側は切り立つような崖になっていた。その付け根に熊野三所神社がある。山の北側を西へ歩き先端まで行った。権現崎という。何もないが、白良浜を遠望できる。太陽が昇って湾内に反射し、逆行のため白良浜の白砂が翳んでしまう。

権現崎を北へぐるっと周るがけ下の道があったが途中で通行止めの看板があった。どうしようかと思っていたらジョギング中のおばさんがやってきて通行禁止の看板をすり抜けた。思わず「そっちのほうへ行くと何があるのですか?」と訊く。「何もなくって道路に出るだけです。」という。「この山の頂上に行きたいのですが登る道はないですか?」と訊くが、「ないと思う。神社に訊いてみたらいかがですか?」との答え。

おばさんに倣って通行禁止の断崖下の道を行こうかと思ったが止めて、神社を訪ねることにした。境内は静かで誰もいない。しばらく佇んでいると宮司とおぼしき人が出てきたのであれこれ聞いた。牟婁の湯、有間皇子、斉明天皇、円月島、熊野三所の由来など親切に教えてくれた。思わぬ歴史の勉強の時間だった。

教えられたように道をたどると「御船足湯」があった。その横をすり抜けて山の北側の海沿いの道を歩く。途中から湾に突き出すように長い防波堤があった。自転車で人がやってきた。防波堤から海釣りをする人だった。「あれが円月島です」と教えてくれた。円月形の穴から海に沈む太陽が見える場所があるそうで、南紀白浜のシンボル、夕景の名所だそうだ。国の名勝に指定されている。

熊野本宮へ

白良浜、円月島という名所を十分に味わい、牟婁の歴史も勉強できて満足だった。ほかにも三段壁、千畳敷、臨海といった名所があるそうだが、次回の楽しみに残して熊野本宮へ移動することにした。宿は川湯温泉にしたので今日中に移動しないといけない。白浜温泉からは、8時20分と10時25分の二本しかない。これを逃すと紀伊田辺駅まで行かないとバスの便がない。

10時25分のバスに乗車。だれも乗っていなかった。10分ほどで白浜空港に着く。30代と思しき女性が一人乗ってきただけだった。本宮大社前に着くまで乗客はひとりも乗ってこなかった。お陰で一番前の席に座って運転手さんとあれこれ話しながらの旅となり、いろいろ教えてもらった。

「右前方の山の中腹が高原(たかはら)で、イーデス・ハンソンさんの家が右手のほうに見えます。」
「ここから中辺路、野中の一本杉がある熊野古道に通じる道です。」
「ここは近露という変わった名前の土地です。」といってバスガイドの車内ビデオを見せてくれた。

「古道歩きの里ちかつゆ」といって、牛馬童子コースや継桜王子コースの中継地点だそうだ。いわゆる観光地なので私は興味はないが、1時間くらいの道のりで古道歩き体験にはいいところなのだろう。

「ちかつゆ」という地名は、ウィキによれば、花山天皇の熊野詣のとき、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし(箸折峠の由来)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来するそうだ。

火曜日の早朝、天気が回復すると知って急遽出かけることにした。ぶらり旅なのでそのときの気分で行き先が変わるが、今回は交通不便な地方なのであらかじめ宿を予約した。白浜温泉、熊野の川湯温泉、そして十津川の上湯温泉の宿を急遽予約した。最初の途中下車駅は紀勢本線御坊駅にして、その日のうちに白浜温泉に移動することとした。。

週末に和歌山方面、新宮とか熊野古道に行こうかと思って下調べをして、交通の便が非常に悪いことを知った。これまでは横浜~奈良の往復でローカル線を利用し、思いついたところで路線を変え、興味をそそられる駅で途中下車して周辺を散策するのが私のぶらり旅のスタイルだった。しかし今回ははじめて奈良から南へ向かい奈良に戻る旅にした。

ぶらり旅の計画

JR高田駅始発の午前6時9分和歌山行きに乗ると、五条、和歌山、御坊、紀伊田辺で乗り換えて新宮まで8時間弱。午後2時前に新宮駅に着く。新宮駅周辺を歩き、速玉神社か那智大社を見学する時間はある。話の種に一度は訪れたいとは思うが、そういう時間に縛られた観光的な旅は私の好みではない。

途中下車して散策を楽しめるところはないかと探したが、私の興味をそそるところは少ない。紀勢本線に乗るのは初めてなので勝手が分からないこともある。東海道線や中央本線は何度も乗っているので距離感、時間感覚があり、電車の運転間隔も長くて1時間だから、ぶらりと途中下車して次の列車に乗ることができるという便利さがある。

新宮方面は、紀伊田辺までは1時間間隔だが、そこから先は本数が極端に少ない。始発が10時44分、つぎが13時15分、これを逃すと16時41分まで電車はない。途中下車したいところも思いつかない。ということで今回は新宮まで行くのはあきらめ、とりあえずその夜は、三大古湯で有名な白浜温泉で一泊することにした。素泊り3350円の宿があったので即予約して出かけた。

紀勢本線御坊駅

地図を見ていて興味を覚えたのが「御坊駅」だった。駅周辺に亀山城跡、本願寺日高別院(日高御坊)、塩屋王子神社がある。途中下車することにした。

亀山城は、南北朝から戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡を支配した湯川一族の本城だったが、羽柴秀吉の紀州侵攻(1585年)により落城し、その後廃城となったそうだ。御坊駅のすぐ近くにある。耳成山くらいの小さな山一帯が城跡だ。天候が悪く、どんよりした空で寒風が吹いていた。あまり絵にならない景色だ。

紀州鉄道というローカル線があった。歩きつかれて時間がなくなったら帰りに乗るのもいい。どちらに歩こうかとスマホで地図を見る。WiMAXがつながらないので現在地を特定できない。そういうこともあろうかと和歌山駅を出るときに御坊周辺の地図をダウンロードしておいた。見知らぬ土地を歩くときは地図が必須である。人っ子一人会えず、土地の人に道を聞くことができないときがあるからだ。

日高御坊の方向にぶらぶら歩いた。車道路を避け、田んぼ道を歩く。田んぼの向こうに集落があった。ご他聞に漏れず、田舎道は左右斜めに通じており方向を見失いがちになる。気がつくと紀伊御坊駅の近くで、日高御坊に通じるまっすぐな道に出た。土地の年配の人に聞くと、「昔は御坊参りの人でにぎわっていたが今はさびしくなった」という。

日高御坊

日高御坊の正式名称は「本願寺日高別院」、京都西本願寺の別院だそうだ。もともとは日高川の対岸にあったが、秀吉の紀州攻め(根来・雑賀衆との戦い)のときに焼けたため、現在地に再建したそうだ。古くは熊野古道に位置し、江戸時代以降は日高御坊を中心に門前町が形成され、戦後は町村合併で「御坊市」になっ た。紀中・日高地域の中核都市である。

紀伊御坊駅から10分ほど歩くと日高御坊に着くはずだが見当たらないので通りかかった中学生に聞く。京都の本願寺の別院なので、それなりの門構えかと思ったがそうではなかった。門の通用口に「御坊幼稚園」の看板があった。境内に幼稚園の校舎があり、子供たちが遊んでいた。

「先生、ちいちゃんがあのおじさんかわいいって!」というこどもの声がした。どうも私のことらしい。野球帽をかぶり赤いリュックを背負っていたからかも知れない。胡散臭いおじさんより、かわいいおじさんに見られるほうがいいと思った。

本殿はさすがに大きかった。広角レンズでないと全体がおさまらない。正門を入ったところに大きな銀杏の木があった。いまはすっかり葉が落ちて寒々としていたが、秋の色づいた黄葉をまとった姿は、さぞかし威風堂々としていたことだろうと思いをめぐらした。

日高川

日高御坊をあとにして日高川に向かった。10分ほどで堤防に出た。堤防沿いに南へ数百メートル歩くと天田橋北詰めで、国道42号線が走っている。昔の熊野街道だがその面影はない。天田橋は300メートルほどありそうだ。このあたりで川幅が狭くなっているが、海に近く水深は深そうだ。昔は熊野詣で往来する人々のための渡し船があったのだろう。

天田橋を渡って熊野街道を南へ十数分下ったところに塩屋王子神社がある。熊野古道九十九王子の一つで、その中でも特に古く格式の高い王子社であったといわれている。古来より「美人王子」とも呼ばれ、祈願すれば美しい子供を授かるというので安産祈願の御参りに来る人がいまも多いという。

紀州鉄道

熊野街道を北へ歩く。天田橋北詰から10分ほどで西御坊駅に着く。時刻表を見ると次の電車は1時間後だった。歩こうと思ったら電車が到着した。怪訝に思って運転手に聞くと、「発車は1時間後です」とのこと。しばし雑談する。紀州鉄道はもともとは日高川から材木などを運ぶために建設された臨港鉄道だったという。

終点は日高川駅だったが十数年前に廃止された。鉄道ファンは紀伊御坊駅に車庫があるのでそこに行く。「そこまで歩いても10分くらいです」という。紀州鉄道は路線距離2.7キロ、 起終点駅を含めて5駅の短い鉄道だ。地元の人は歩くという。確かにそうだ。私だって御坊駅から日高川まで歩いた。寄り道せずにまっすぐ早足で歩くと30分くらいだろう。

線路内に「立ち入り禁止」の看板はない。地元の人も歩いているようなので私も線路沿いに歩いてみた。電車は自転車でゆっくり走るくらいのスピードなので危険はないのだろう。線路にみかんが散らばっていた。のどが渇いていたので拾って食べる。ジューシーでおいしかった。

紀伊御坊駅

西御坊から市役所前駅を経て紀伊御坊まで徒歩10数分くらいだ。駅の左手に行くと車庫があった。全部で2両しかないそうで、車庫の外に非番の車両がぽつんと置いてあった。レトロな車両で、鉄道ファンが見学に来るのだろう。私も写真を撮り、数十分待って記念に乗車した。学生と思しき男二人が乗っているだけだった。

西御坊で会った運転手さんとまた話をしながら、数分間のローカル電車の旅を楽しんだ。御坊駅で16時18分初の紀伊田辺行き電車に乗る。「紀伊田辺で乗り換えて白浜に行ってもそこからまたバスになるから、本数の多い紀伊田辺駅から白浜温泉方面行きのバスに乗ったほうが良い」と件の運転手さんが教えてくれた。紀伊田辺駅で10分ほど待ってバスに乗った。



ならクル

「奈良まほろばサイク∞リング」を略して「ならクル」と呼んでいる。「ならクルマップ」とならクルの個別ルート案内図は「奈良県自転車利用総合案内」サイトから入手できる。下記のマップは、ならクルマップの一部(大和盆地の部分)を切り取った。自転車道が走る地域全体の3分の1くらいに相当する。いずれのルートも高低差が数十~百メートルなので初心者でも楽にサイクリングできる。

せんとの道ルート

京都府県境に近いJR平城山駅の近くから飛鳥・石舞台を結ぶ、山と盆地のほぼ中央部を縦断するルートを「せんとの道ルート」と命名された。全長43.6キロで、途中の大和郡山から飛鳥に延びる「飛鳥葛城自転車道(21キロ)」を含んでいる。法隆寺の南側を流れる大和川を超えると、曽我川~葛城川に沿った道に入る。広陵町のほぼ真ん中を南下し、大和高田市域に入ると進路を東に向け橿原市域に入るルートだ。

かぐや姫ルート

ならクル「かぐや姫ルート」

奈良県では、2012年12月に「奈良県自転車利用促進計画」を策定し、自転車を活用した観光振興や地域活性化に取り組んでいる。その一環として、サイクリングマップを作成し、31ルートを紹介している。その中のひとつが「かぐや姫ルート」で、私の実家がある町を東西に横断している。

このルートは県道沿いの自転車道なので私は避けて走る。田園地帯の真ん中を走り、小さな森と寺社のある村の中を走り、飛鳥川、曽我川、葛城川の堤防沿いの道を走る。朝夕を除けばほとんど車が走らない道を右に左にそれながら走るのが好きだ。

※私のお勧めは下記に示した。

葛城高原散策

葛城高原のススキ
久しぶりに一泊二日の旅をした。火曜日の夜にふっと思いついて翌日の宿を予約し、具体的な計画もなしにぶらっと出かけた。目指すは葛城山頂だったが、その前にバスに乗り遅れたので駅周辺を歩き、葛城川の河原で遊んだ。バスの乗客は私のほかにおばあさんが一人。土地の人のようで途中で降りた。葛城ロープウェイ の乗客は私だけだった。

昭和42年営業開始 高低差561m 傾斜長1421m 毎秒5m

馬見古墳群

今日は天気が良かったので午後から思い立って自転車で出かけた。近隣の古墳めぐりをした。

巣山古墳、新木山古墳、三吉石塚古墳、ナガレ山古墳、乙女山古墳を回った。歩いても20~30分くらいの所に5つの古墳がある。一帯は竹取公園、馬見丘陵公園になっている。
  巣山古墳

私が通った中学校から徒歩15分くらいのところだ。中学生の頃は木々に覆われて何もなかった。町や県が整備して住民の憩いの場所にしたようだ。 

昔は三吉石塚古墳もナガレ山古墳も特定できなかった。この辺りから南一帯は真美が丘といって香芝市と広陵町にまたがる地域で、1980年代に住宅開発が始まったそうだ。 

計画は1960年代だったが、埋蔵文化財地域(馬見古墳群)だったため、開発前の発掘調査に20年の歳月がかかったという。私が真美が丘の存在を知ったのは17年前、一時帰郷したときだった。そのときは車で通り過ぎただけだった。 

 3年前、故郷再発見でぶらり旅を始めたとき、竹取公園や馬見丘陵公園があることを知った。広陵町が「かぐや姫の町」を宣言していることも知った。そのときに竹取公園、讃岐神社、巣山古墳などを訪れた。  

先週の日曜日、村の知人と立ち話をして聞いた「花祭り」を見学に、はじめて馬見丘陵公園へ行った。竹取公園も広いが、その十数倍の広さがあるのだろう。入口がいくつもあってどこで花祭りをやっているのか探し当てるのに数十分かかった。

藤原宮跡

藤原京を訪ねた。故郷に滞在しているとき一回は訪ねるお気に入りの場所である。実家から自転車でのんびり走る。ママチャリなので颯爽と風を切って・・・とはいかない。途中しばしば止まって大和の風景を写真に撮りながら行くと約1時間だ。

畝傍高校
母校 2012/10/15
高校生のとき通学で通った道筋が最短距離で、高校まで約30分だった。母校に寄って写真を撮った。校舎は昔ながらのたたずまいを見せてくれた。体育の時間だろう。数十人の生徒たちが後者の前で準備体操をしていた。

藤原宮跡は高校の南東にある。徒歩20分くらいで、自転車だと10分もかからないところだ。藤原宮跡の北側に醍醐池がある。この池の囲む形で内裏があった。持統・文武・元明天皇の皇居だったところだ。醍醐池から北に耳成山がすぐ近くに見える。高校時代の体育の時間、耐寒訓練のため駆け足で登ったことを思い出した。醍醐池の西側堤は桜並木になっている。その横の畑は遊休地になっているが、昨年はオレンジ色を中心としたコスモスが群生していた。
醍醐池の南側一帯が藤原宮跡で、大極殿(国会議事堂)、朝堂院(霞ヶ関官庁街)があったという。いまは、発掘調査で見つかった礎石の位置に朱色の柱が建てられている。二年前、平城京1300年記念事業で大極殿、朱雀門が復元されたが、藤原宮には建てて欲しくないと願うのは私だけだろうか。

大和三山に囲まれた平原に日本最初の都城が築かれた。平城京や平安京を凌ぐ規模の都だったことが、近年の発掘調査で分かった。醍醐池を背にして南に歩き木々の間を抜けると、広大な草原が目に入る。左手のかなたに香具山が見える。目の前が大極殿跡で、その南側に朝堂院があったという。

なにもない平原の光景が気に入っている。ここにいると、古の宮廷人が「ここにどんな都を築こうか?」と想を練っている姿が目に浮かんでくるようだ。私は宮跡の北西から眺めるのが好きだ。眼前に小川が流れ、目を上げると正面のかなたに香具山が見える。木々にさえぎられて見えないが左手に耳成山があり、右手には畝傍山が見える場所だ。いつ行っても人影の少ない静かな場所である。
眼前にコスモスが咲き乱れていた。例年は、宮跡の西側半一帯が一面コスモスに覆われているが、今年は台風の影響だろうか、それとも盛りが終わったからだろうか、ちょっと貧弱な風情だった。西北部の区画だけが、1メートル近くの背丈に成長したコスモスに覆われていた。


柿を啄ばむ鳥

ハイブリッドカメラを買った日に試し撮りした動画だ。YouTubeにアップし、Facebookにも投稿した。「雀が柿を啄ばんでいる...」と書いたが、雀ではなく「つぐみ」だと教わった。

その日、奈良の自宅の二階からキュンキュン、チュチュッチュと啼いて飛び交う鳥の群れを見ていた。群れて飛ぶのは雀だと思い込んだ。教えられて気がついたが、棟や翼の色模様が明らかに雀とは違っていた。

窓から10メートほど先にある柿の木に群がり、互いに争って熟した柿を啄ばんでいた。ぶれないように窓の縁にカメラを置き、ズームアップして撮影した。柿を啄ばむ鳥の姿が大写しで撮れた。最初にしては上出来だと満足した。

野鳥図鑑を見ると、つぐみ(Dusky Thrush)はシベリア東部からカムチャツカ半島にかけて繁殖する。冬季に日本各地に渡来する。家の近くに竹林があり、夕方になるとすごい数の鳥が群れていた。

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※Firefoxは、こちらから再生できます。

当麻寺

 
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母を見舞いに行った帰り道、当麻寺を訪ねた。妹に車で送ってもらいJR五位堂駅近くで降り、二上山に向かって歩いた。田園地帯を歩きたかった。五月の太陽がまぶしく、気温も高く汗びっしょりになったが、静かな田んぼ道を歩くのは気持ちが良かった。寄り道をしながら一時間ほど歩いて当麻寺に着いた。人影は少なく、牡丹の花が静かに迎えてくれた。塔頭がいくつかあり、牡丹を客寄せにした観光寺になっている。そういう寺には興味がなかったので、奥の院に向かった。祖父や父の永代供養をしたところだが、寺院内をのんびり歩くのは初めてだった。五月の陽光を浴びた木々の緑が目にしみた。奥の院の和風庭園のあっちこっちに牡丹が咲き乱れていた。