牟婁の湯~白浜温泉~



「温泉は牟婁の湯、白良湯、まぶ湯がいい。無料で入れる。ここに来たからには円月島と白良浜を見ないといけない。」 そう教えてくれたのは古賀浦バス停近くの小さな店屋のおじさんだった。翌朝、古賀浦から大浦を経て白良浜、熊野三所神社、御船足湯など海岸沿いを散策し、円月島の写真を岸から望遠で撮ることもできた。

この日の早朝に白浜温泉の宿を予約した。楽天で素泊り3350円という格安の宿があった。和歌山で紀勢本線に乗り換え、御坊駅で途中下車。約3時間ぶらりと歩き、紀伊田辺駅に着いたのは17時。駅前から17時20分発白浜方面行きバスに乗る。約45分で古賀浦バス停に着いた。

古賀浦の温泉宿

宿まで徒歩10分くらいだと思うがすでに日が暮れて暗く、どの道を行けばいいか分からない。バス通りに商店の明かりが見えた。店には誰もいない。声をかけるとおばさんが出てきた。夕食替りのパンとデザートに有田みかんを買って道を訪ね、ついでに明日の熊野行きの交通手段を聞いているとおじさんも出てきてあれこれと教えてくれた。

熊野本宮大社へは古賀浦バス停10時20分溌の明光バスが出ているという。幸運だった。明朝白浜界隈を3時間ほど散策して熊野に行こうと決めた。約3時間の白浜見学にどこに行けばよいか、おじさんが親切に案内地図をくれて、こことここは見ないといけないと教えてくれた。

教えてもらった入り江沿いの道をゆっくり歩いて10分ほどで宿に着いた。左手に大きな近代的なホテル古賀の井が見える。ここを過ぎて一つ目の角を曲がると、今夜の宿しらゆり荘だ。部屋は6畳の和室で真新しい畳の匂いがする清潔な部屋だった。早速温泉に浸かる。カルシウムを多く含んだ「長生源泉」で肌がつるつるした。ほかの客の姿はなくひとりでゆっくり温泉を味わった。

古賀浦から白良浜へ

翌朝6時起床。源泉かけ流しの温泉に入って体を温め、朝日を待って出発した。宿のすぐ近くの古賀浦には小船が何艘も停泊し朝の日差しを浴びていた。青い空と海が美しい。やしの木と高台に建つ白いホテルが入り江の風景に溶け込んでいた。



先ずは白良浜を目指して歩く。大きなコガネイベイホテルを左に見て丘を下ると大浦のほとりに出る。ここからの眺めも絵になった。正面の入り江に浮かぶような瀟洒で重厚な建物は、後で調べると田辺湾に突き出した岬にあるホテル川久のようだ。



大浦の信号から北へ向かい次の信号で西へ向かって歩いた。観光客用のガイド地図をもらっていたが分かりにくい。いろんな店や宿、観光スポットの宣伝なので地図の縮尺や東西南北が不正確である。どうも私はこの手の地図は苦手だ。迷う原因になるからだ。それより自分の動物的な方向感覚を信ずる。

やがて「白浜銀座街」の看板を目にする。商店が続いているがまだ開店していない。左手に「弁慶産湯の釜」というのがあったが、ホテルの客寄せ用だろう。ここから5分ほどで白良浜についた。だれもいない静かな白砂の浜辺だ。しばし眺めていると若いカップルが浜を歩いてきた。朝のジョギングをするおばさんが走ってきた。平和な光景だった。

「雪の色に同じ白良の浜千鳥 声さへさゆる あけぼのの空」と寂念法師が歌った雪のように白い砂浜だ。硅石や石英からなる色砂岩が風化してできたものだとの説明があった。

西行法師の歌碑があった。
「波よする しらゝの濱の からす貝
 拾ひやすくも おもほゆる かな」

白砂にある黒い貝は見つけやすいということだ。平安貴族の遊び「貝合わせ」に使う貝を女房に頼まれて拾いにきたときに詠んだ歌だそうだ。

牟婁の湯

昨夕に店のおじさんが「ムロノユ」と教えてくれたが、私は始めて聞いた名前だった。その由来を教えてくれたのは白良浜の北端に鎮座する熊野三所神社の宮司さんだった。白浜という名前は比較的新しく、大正時代に使われ始めたということで、それまでは「牟婁の湯」と呼ばれていた。地名は瀬戸鉛山村(せとかなやまむら)で、牟婁の湯は神社から南へ続く遊歩道を10分くらい歩いたところにある。中間地点には露天風呂しらすながあり、いずれも無料で利用できる。

神社境内に斉明天皇(皇極天皇)の行幸碑があった。宮司に聞くと、「あの悲劇の有間皇子が最初に牟婁の湯にきて良かったので斉明天皇に勧めた」という。断崖の山を挟んで神宮とは反対側に行くと「御船足湯」がある。昔はここに船で着いて牟婁の湯に行ったそうだ。

白浜という名前は大正時代からだが、「牟婁」という名前は飛鳥時代からあり、「牟婁の湯」は万葉集や日本書紀にもでてくるという。旅から戻って調べると、東西南北4つの牟婁郡がある。現在は南北の牟婁郡は三重県、東西の牟婁郡は和歌山県になっている。江戸時代の紀州徳川藩の領地は紀伊国から伊勢国南部の松阪周辺まであって、明治の廃藩置県で分割され熊野川以東を三重県、以西を和歌山県に編入され、現在に至っている。

牟婁の歴史は大化の改新まで遡る。上古の時代(古墳時代・飛鳥時代)には熊野国といわれた地域は、江戸時代に編纂された「紀伊続風土記」では、大化の改新後に紀伊国に併合し牟婁郡を置いたとされる。つまり熊野は広大な牟婁郡の一部になったわけだ。

円月島

白良浜の北のはずれに海に突き出すような小高い山が見えた。西側は切り立つような崖になっていた。その付け根に熊野三所神社がある。山の北側を西へ歩き先端まで行った。権現崎という。何もないが、白良浜を遠望できる。太陽が昇って湾内に反射し、逆行のため白良浜の白砂が翳んでしまう。

権現崎を北へぐるっと周るがけ下の道があったが途中で通行止めの看板があった。どうしようかと思っていたらジョギング中のおばさんがやってきて通行禁止の看板をすり抜けた。思わず「そっちのほうへ行くと何があるのですか?」と訊く。「何もなくって道路に出るだけです。」という。「この山の頂上に行きたいのですが登る道はないですか?」と訊くが、「ないと思う。神社に訊いてみたらいかがですか?」との答え。

おばさんに倣って通行禁止の断崖下の道を行こうかと思ったが止めて、神社を訪ねることにした。境内は静かで誰もいない。しばらく佇んでいると宮司とおぼしき人が出てきたのであれこれ聞いた。牟婁の湯、有間皇子、斉明天皇、円月島、熊野三所の由来など親切に教えてくれた。思わぬ歴史の勉強の時間だった。

教えられたように道をたどると「御船足湯」があった。その横をすり抜けて山の北側の海沿いの道を歩く。途中から湾に突き出すように長い防波堤があった。自転車で人がやってきた。防波堤から海釣りをする人だった。「あれが円月島です」と教えてくれた。円月形の穴から海に沈む太陽が見える場所があるそうで、南紀白浜のシンボル、夕景の名所だそうだ。国の名勝に指定されている。

熊野本宮へ

白良浜、円月島という名所を十分に味わい、牟婁の歴史も勉強できて満足だった。ほかにも三段壁、千畳敷、臨海といった名所があるそうだが、次回の楽しみに残して熊野本宮へ移動することにした。宿は川湯温泉にしたので今日中に移動しないといけない。白浜温泉からは、8時20分と10時25分の二本しかない。これを逃すと紀伊田辺駅まで行かないとバスの便がない。

10時25分のバスに乗車。だれも乗っていなかった。10分ほどで白浜空港に着く。30代と思しき女性が一人乗ってきただけだった。本宮大社前に着くまで乗客はひとりも乗ってこなかった。お陰で一番前の席に座って運転手さんとあれこれ話しながらの旅となり、いろいろ教えてもらった。

「右前方の山の中腹が高原(たかはら)で、イーデス・ハンソンさんの家が右手のほうに見えます。」
「ここから中辺路、野中の一本杉がある熊野古道に通じる道です。」
「ここは近露という変わった名前の土地です。」といってバスガイドの車内ビデオを見せてくれた。

「古道歩きの里ちかつゆ」といって、牛馬童子コースや継桜王子コースの中継地点だそうだ。いわゆる観光地なので私は興味はないが、1時間くらいの道のりで古道歩き体験にはいいところなのだろう。

「ちかつゆ」という地名は、ウィキによれば、花山天皇の熊野詣のとき、現在の箸折峠で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし(箸折峠の由来)、そこからしたたり落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来するそうだ。



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