日米同盟

December 13, 2010 by 管理人   Comments (0)

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この数年、メディアで「日米同盟」という言葉が頻繁に聞くようになった。かつては「日米安保条約」に基づいて「憲法第9条の規定範囲内」で自衛隊を海外派遣するといった表現だった。

それが「同盟」の名のもとに報道されるようになったのはどうしてか、いつごろから「同盟」という言葉を使うようになったのか。気になっていたが知らないままに聞き過ごしていた。

NHKスペシャル「日米安保50年」を見た。安保体制がどのような経緯で成立したのか、その歴史的経緯と実態、日米の思惑や解釈の違いなどが理解できた。こういう番組がどうしてもっと早く制作され国民に情報提供されなかったかのかと思った。

歴史には公表されなかった裏側の真実がつねにある。国家機密、外交機密に抵触しない範囲でその真実を掘り起こし大衆に知らせることも報道の役割であろう。私だけが知らなかったわけではない。番組で「新しい資料が公開され、NHKの取材で初めて明らかになった」といっていたからだ。

70年安保闘争

かつて70年安保闘争、北爆反対などがメディアを賑わしており、私もデモに参加したことがあって強烈な印象を残した。闘争と挫折の記憶だ。しかし、なぜ反対しないといけないのか、安保体制を築くと何が問題になるのか、そういったことは深く考えなかった。

安保問題とベトナム戦争反対運動が同時進行していたため、当時のノンポリ派には学生運動の本質は理解できていなかったのだと思う。ただ、戦争にはみんなが反対だという共通の意識で、一部の活動家の煽動に同調していたのだと思う。安保とはなにかさえ理解していなかった。

分かっていたのは、憲法第9条で戦争と軍備を放棄した日本はアメリカの核の傘の下で軍事的に守られているということだけだった。日米の具体的な役割や任務については分からなかった。「アジアの平和と日米の友好な関係を維持する」と安保条約に記載されていても、それだけでは実態は分かりようがなかった。

軍事同盟

当時、「同盟」という言葉が使われることがなかった。メディアで聞いたり目にしたりした記憶がない。「同盟」という言葉が、日本を第二次世界大戦に突き進んだときの「日独伊三国同盟」を連想させるから使われなかったということだ。

だから、安保条約の条文でも「友好な関係」という言葉になっている。もちろんアメリカ側は不満だった。ベトナム戦争でアメリカ国民の血を流しているのに日本は何もしないからだ。しかし、アメリカも「同盟」という言葉を使うことで日本国民の反対運動が過激化するのを回避したいという意向があった。60年安保のときは一部の過激派学生による扇動ではなく、主婦も含む一般国民があまねく反対するデモだった。

1979年、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻し、米ソ関係が緊張した。旧ソ連が北極海から米本土をミサイル攻撃できるようになったことに対する警戒感がますます強まる。アメリカは、この防衛体制に日本が協力することを強く望んだ。
(つづく)